岡田のりんご園の間には、桑の木がたまに植わっています。
こんにちは、よこや農園のあすかです。暑くなってきましたね、この時期夏ってこんなに暑かったっけって毎年思っている気がします。
今日はりんご園になる前のお話です。
このあたりは、今はりんご園が多いですが、その歴史は案外浅く60年くらいです。
その前は、養蚕業が盛んで、今のりんご園の場所には桑畑があったそうです。
今わたしたちが住んでいる家は母の実家なのですが、母が幼いころ(55年くらい前)はまだ蚕(かいこ)が家にいたそうです。
母の弟が幼いころに、わけわからず蚕をつかんで食べてしまったのが衝撃的だったそう。
養蚕業とは、繊維や絹織物のもととなる生糸の原料の繭をつくることで、繭は蚕という虫からできるため、農家では蚕を育てていました。
その蚕の餌となるのが桑の葉なので、桑畑があったのです。
化学繊維の発達などにより養蚕農家が急速に減ってきたタイミングで、私のひいおじいさんの代(60年前)で、この近所の人がりんごを植えたことがりんご農家の始まりだったそうです。
当時は、りんご農家はとても儲かったそうで、近所の農家さんはそのお金を使って蔵をたてたとか。
その後、協同組合(今でいうJA)ができたり、お歳暮にりんごを贈る習慣とともに個人販売が盛んになったりと、少しずつ変わってきました。
そう考えると、今のこのりんご園や、今主流のりんご農家の在り方みたいなものも、あとどれくらい続くかわからないなぁと思いました。
社会がどんどん変わっているので、きっとりんご農家も変わっていくのだと思います。
もちろん、りんご園のある風景は美しく、ここで作られるりんごはとても美味しいので、残っていってほしいと思っていますが。
これからどうなっていくのかわかりませんが、住む人や訪れる人にとって、おいしい果物や果樹園のある風景が、
(例えば、アルプスの山々や松本城を中心とした城下町、松本の街にたたずむ個性的なお店の数々のように、)
何か意味のあるものである人がいるのかもしれない、いてほしいな。と思います。
そうゆうものがたくさんあることが、街や国を魅力的にし、また住んでる人を豊にするのではないかなぁと思うからです。
ではでは~