今日はりょうちゃんとりょうちゃんの職場仲間のみほちゃんが来てくれました!
写真はこのあいだの餅つきの写真です。
餅つきの資料を作成してるときに、餅は一昔前?は各家庭でついてたのに今はほとんどスーパーで買うよねえという話になりました。
そして、みほちゃんの修士論文の内容が服の製造・卸売の歴史についてで、岐阜県における服の製造の歴史からわかることの話をききました。
昔はお母さんが各家庭で布を縫い合わせてつくっていたのが、歴史が進み会社ができて、資本が大きくなるにつれて大規模化し、作業が単純化し、それが海外に流れていったということです。
餅も一緒で製造の場は家庭から工場に移っています。
そのほかにもいろんなものが、家庭から工場に製造の場を移し、さらには海外にでていってます。
みほちゃんはその流れに否定的な立場でした。作業を効率化し労働者に単純作業をやらせ、さらに海外に低賃金で働ける単純労働者を求めていくというのは、確かにひどいように思えます。
きちんと意見をもっていてえらいなあと思いました。
せっかくなのでこの話題についてもう少し考えてみることに・・・
まず、単純労働がいけないかというと、きっと単純労働が好きな人もいるはず・・・つまり単純労働はいけなくない。
海外の工場については、中国でブランド物のジーンズをつくってた工場のDVDを見たことがあるけど、本当にひどかった。休みはほとんどなくて給料はほんの少しだったと思う。
これはどうしたものかわからないけど、きっと得してる人がいるから工場がそこにできたわけで、働きたい人がいるから成り立っているわけで・・・世の中不公平なことは山ほどあって、考えてもわかりません。。
少なくても人を機械のように扱うのはよくないです。単純労働でも、職場の人と協力しながら創意工夫できる余力があれば働き甲斐は生みだせると思うので、ひどいというならそれは会社の方針や社風、上司の在り方が問題なのかもしれないです。
前にも少し書いたけど、私は分業という働き方は基本的にいいことだと思っています。個人的には、縫物も得意じゃないし既製品を買えた方が便利だなあと思います。
それから、全部が全部大企業になっていったわけではなく、小さいながらも服を作り続けた人や会社もあると思います。
安い既製品が大量に出回る中で、着物職人さんや朝ドラのカーネーションのモデルになった人のような洋服づくりさんが、多分いたと思います。(もちろん廃業に追い込まれた人のが多いと思いますが)
うちの祖母も6年前くらいまでは年末に自宅で杵と臼を使って餅つきをしていたわけだし・・・
そうなってくると、もはや個人の問題です。((特に海外の工場とかで)働き方の選択を自由にできるかというのはまた別問題)
と、このように書いていたら、自分の考え方変わったなあと思いました。
その中国のDVDを見た時はなんてひどい、もうユニクロの服なんて買わないって思ってたのに・・・(みほちゃんと同じ意見だった)
そして、今の常識だと思ってることって、案外歴史的にみると短いのですなあ。。
この先どうなることやら・・・